日本バスケットボール学会 設立趣意書
The Japan Society for Basketball Studies Charter
1891年12月21日にジェームス・ネイスミスが草案して以来、バスケットボールは今や世界的スポーツへと成長を遂げた。我が国においても、バスケットボールは多数の競技人口を有するスポーツである。それでも、日本のチームや個人が世界の舞台で思うような成果を挙げられていないことは、多かれ少なかれ、バスケットボールに関わる我々の関心を引く事柄であり、さらには容易に否定することのできない現状でもある。
こうした現状を鑑みた時、日本のバスケットボール界がさらなる発展を遂げるため、我々がこの競技のことをより深く掘り下げ、学び、研究することが必要とされるのは、明らかであろう。そうした状況にあって、多くのバスケ関係者が、日々努力を惜しまず、バスケットボールの指導や学び、研究に邁進しているのは紛れもない事実である。しかし、一方で、我々が自らの研究を伝え、議論し、吟味する包括的な場がないことで優れた知見に光が当てられることなく、多くの指導者、研究者たちは不利益を被っている可能性もある。そうした交流の場が必要とされていることは、少なくとも、多くの共感を得られるはずだ。
ひとくちに「バスケットボールの研究」と言っても、それは様々な角度から行うことができる。バスケットボール学会は、バスケットボールに関する運動方法学、技術論、戦術論、歴史、コーチング論、生理学、哲学、バイオメカニクス、教育学、心理学、経営学、社会学に至るまで、バスケットボールに関わるありとあらゆる研究を取り扱うことを目指す。もちろん個々の分野における研究がより一層発展することも重要であるが、様々な分野を専門とする人々が集まることには、それだけにとどまらない意義がある。様々な分野の人々が一つの共同体のなかで交流し、意見を交わすことで、分野・領域を超えた学際的な研究も促進され、様々な化学反応も生まれることになるのである。さらに大きな視点から見れば、バスケットボールの世界情勢からすると、国際的な交流も必須であろう。「学際的」と「国際的」という縦軸と横軸がしっかりと確立されることで、昨今の多様性に耐えうる研究の確固たる土台が築かれるだろう。
この競技には実践の現場が存在する以上、バスケットボール学会は、単なる研究交流の場ではなく、実践に従事する指導者や選手もそこから多くを学べる場でなければならない。研究者の単なる業績づくりの場であってもならないのは言うまでもない。現場で奮闘する指導者や選手たちの切迫感が学会に持ち込まれるとともに、他方で、現場で試行錯誤する者たちが大いに利益を得られる場になることが必要不可欠である。さらに、交流すべきは人々同士だけでない。企業や法人、自治体までもが参加し、バスケットボール界を支える団体が集う共同体的な役割を担えることが望ましい。
バスケットボール学会は、開かれた学会を目指す。しかし、「開かれた」というのは単に集まる人々や団体だけに言えることではなく、場そのものが開かれているという意味でもある。つまり、派閥やしがらみにとらわれることなく、お互いに批判もできる自由な場を提供することを目指す。より良きものを紡ぎ出すための批判的精神がなくなってしまうのでは、バスケットボールの発展という目的を果たすのは困難になってしまうからである。古代ギリシアの哲学者アリストテレスはこう語っている。「友人も真理もどちらも愛すべきであるが、真理の方をこそまず重んじるのが敬虔なことである」、と。
これまで大小様々なレベルでバスケットボール学会設立の話が存在したと思われる。しかし、残念なことに、今日まで具体的な動きは見られなかった。こうした事態にあっては、「自分がバスケットボール界に寄与する」という一人ひとりの強い「当事者意識」が求められる。受け身ではなく、参加する誰もが積極的な姿勢を持つことが強く望まれる。それにより、バスケットボール学会は豊穣をもたらす有益な場になるだろう。
日本のバスケットボールの発展に資する交流の場を設立するべく、ここに、多くのバスケットボールの徒にご協力を仰ぎたい次第である。
日本バスケットボール学会
設立発起人
JSBS Founders
青木美帆
市谷浩一郎
大川信行
川北準人
小谷究
佐良土茂樹
瀬戸孝幸
羽上田昌彦
古澤栄一
森崎秀昭
山谷拓志
渡邉誠
飯田祥明
稲葉優希
大高敏弘
木下佳子
小牟礼育夫
柴田健
谷釜了正
東野智弥
水谷豊
森山恭行
吉田健司
石井一生
及川佑介
奥山秀雄
栗原俊之
坂井和明
島本和彦
谷釜尋徳
平原勇次
村上佳司
師岡文男
吉本完明
石井浩一
笈田欣治
加藤三彦
高妻容一
桜庭景植
鈴木良和
富田佳宏
藤井慶輔
元安陽一
山田洋
渡邉陵由